ぼくはアフリカ きみはエジプト そして私はスリランカ

物語を書く、ということは、足のかかとが、3センチくらい、ふわっと浮くことだ。いや、浮きたくて書いているのかもしれない。

いったん浮いて、ちょっと違うところに着地したいのやも。

息子の話す物語は、いつも、現実から3センチくらい、何かがズレている。

翻訳をかけるともたらされる言語のズレ、というのも、面白い。
言葉で遊ぶ感じ。
それはこのズレがもたらす自由さがイイんだと思う。

しっかり構築されたものの中の柔らかさ。

でも、意味もへったくれもないのだけれど
そもそも何もないからこその子どもたちの捉え方も
ヘンテコでいいなあ。

今日、友達と遊んでいて、
息子が、
「いい?キミは”エジプト”だから。ボクは”アフリカ”ね!いい?わかった?」
と話していて、
息子の友達は、息子よりも2歳年上ということもあり
物事の捉え方がマトモなので
「えーと、それはボクはミイラとかってことかな?(エジプトだから)」

息子
「いいよ、ミイラ。でももっと全部ね。
ミイラとかじゃなくて、全部ね、ピラミッドとかも全部入ってるから。
ぜーんぶやってね!」

それで息子はアフリカを表現することに忙しく
柔軟で心優しい息子の友人はエジプトをしっかり担当していた様子なのだけれど
アフリカにエジプトも入ってなかったっけ…?

あ、でもそんなことはどうでも。

思わずコーヒー淹れながら、そうだなあ、しいて言うなら
ママはスリランカですかね。

夢中で遊ぶ子どもたちは、本当に素敵だ。

今日はアフリカとエジプトとジェラシックパークと
お父さんとたこ焼きを担当してくれて、どうもありがとう。

Ai
インタビュアー、ブックコンシェルジュとしてラジオ出演、本、アート、グリーフケアに関する執筆活動をおこなう。2013年から東南アジアを中心とした海外と日本を行き来する生活に。日ごとパワーを増す息子たちとの海外生活に奮闘しつつ、だからこそ改めてこんな風に書くことができる歓びを感じる日々。