コルビュジエさんのつくりたかった美術館

IMG_8551旧姓 五十川藍子として作らせていただいた本
コルビュジエさんのつくりたかった美術館

 

 

 

 

 

こちらでご紹介させていただいた
国立西洋美術館がついに!
世界遺産に登録されました。

母校 東京理科大学の山名善之先生からお聴きした
ムンダネウムに関するお話から着想を経て
Echelle-1の下田さんからご縁をいただき
マップス山崎社長のおかげでできた本でした。

出版当時も世界遺産になるかも、という話はありましたが
何回か見送られ、今回は満を持しての世界遺産登録。

関係者の方々の長い間のご尽力を思いますと本当に頭が下がります。
本当におめでとうございます!

そしてこの本にもまた、新たな出会いがあるといいなと思います。

手前味噌ながらなかなか良い本だと思います。
ペグハウスさんのデザインも
どことなくフランスの風が吹く金子ともこさんの絵も素敵ですよ。
よろしければ是非ご覧になってください!

遠い声を聴く

創造する、とは遠い声を聴く、ということだ。

少なくとも自分でなにかを創り出している、という感覚ではないと思う。
一生懸命耳をすましている感覚に近いような気がする。

でも、瞑想すれば聞こえるかというと、そんなことはない。

お皿を洗ったり、子どもの制服にワッペンをチクチクつけたり
ものすごい集中力で料理を作ったり
時間に追われて企画書を作ったり
生活を丁寧にしっかりやる、という先に
ちょっと広場のようなところで一休み。

一杯のコーヒー。

香りたつ匂い。

ちょっと深呼吸。

そんなときに聴こえる声。

それに従うということだ。

一度聴こえたら、もう大丈夫。

時々聴こえなくなることがあるかもしれないけれど
また耳をすませばいいから大丈夫。

そしてこの世の中には創造的でない仕事なんて、ひとつもないから
仕事とは、遠い声を聴く、ということなんだと思う。

言われたこと、見たこと、そのままじゃなく
もちろんそれも受けとめた上で
遠い声が聴こえるかしら、私にも。

友に

友とはわざわざ会いに行くものだ。
友情とは育まれるもの。

毎日会えば育まれるわけではない。
一年間毎日会ったからといって、友情が生まれるわけではない。
それはいつか過ぎ去る。ティッシュペーパーと一緒だ。
今、必要だから、買う。そして消費する。
なにか用事があるわけではない。
会いにいくのだ、友に。

そしてゆっくりと育まれる。
長い時間をかけて赤ん坊から大人になるように。

それは日常とはべつのところで、育まれるものだ。
たとえば空を見あげたときや、木の音を聞くとき
結婚したり、離婚したり、子どもが生まれたり、誰かが亡くなったり

大切なタイミングになると、そっと寄り添う。

それじゃ、また。

そう言って、友の幸せを、その人生が豊かなものであることを祈る。

ぼくはアフリカ きみはエジプト そして私はスリランカ

物語を書く、ということは、足のかかとが、3センチくらい、ふわっと浮くことだ。いや、浮きたくて書いているのかもしれない。

いったん浮いて、ちょっと違うところに着地したいのやも。

息子の話す物語は、いつも、現実から3センチくらい、何かがズレている。

翻訳をかけるともたらされる言語のズレ、というのも、面白い。
言葉で遊ぶ感じ。
それはこのズレがもたらす自由さがイイんだと思う。

しっかり構築されたものの中の柔らかさ。

でも、意味もへったくれもないのだけれど
そもそも何もないからこその子どもたちの捉え方も
ヘンテコでいいなあ。

今日、友達と遊んでいて、
息子が、
「いい?キミは”エジプト”だから。ボクは”アフリカ”ね!いい?わかった?」
と話していて、
息子の友達は、息子よりも2歳年上ということもあり
物事の捉え方がマトモなので
「えーと、それはボクはミイラとかってことかな?(エジプトだから)」

息子
「いいよ、ミイラ。でももっと全部ね。
ミイラとかじゃなくて、全部ね、ピラミッドとかも全部入ってるから。
ぜーんぶやってね!」

それで息子はアフリカを表現することに忙しく
柔軟で心優しい息子の友人はエジプトをしっかり担当していた様子なのだけれど
アフリカにエジプトも入ってなかったっけ…?

あ、でもそんなことはどうでも。

思わずコーヒー淹れながら、そうだなあ、しいて言うなら
ママはスリランカですかね。

夢中で遊ぶ子どもたちは、本当に素敵だ。

今日はアフリカとエジプトとジェラシックパークと
お父さんとたこ焼きを担当してくれて、どうもありがとう。